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2024年2月18日 (日)

(2586) 東京物語

【監督】小津安二郎
【出演】笠智衆、東山千栄子、原節子、山村聰、杉村春子、香川京子、東野英治郎
【制作】1953年、日本

尾道から東京に出てきた老夫婦と東京で暮らす子供たちとのやりとりを描いた作品。

尾道で暮らす周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の老夫婦は、教師をしている娘の京子(香川京子)に留守を任せて東京に出る。二人は開業医の息子、幸一(山村聰)の家に泊まるが、幸一は仕事が忙しく、二人の相手ができない。美容院を営む長女の志げ(杉村春子)も二人の相手が難しく、戦死した次男、昌二の妻で未亡人の紀子(原節子)に電話で二人の世話を依頼。米山商事に勤めている紀子は、休暇を取得して二人を東京観光に案内し、アパート暮らしの狭い部屋に招いて心ばかりの食事で二人をもてなす。紀子にばかり世話を頼むのは悪いと考えた幸一と志げは、金を出し合って二人を熱海旅行にやる。しかし、泊まった旅館では若者の麻雀や流行歌の演奏でうるさく、二人は寝られない。翌朝、二人は早々に熱海から引き上げることにする。とみは少し足元にふらつきが生じていた。
二人が志げの家に帰ると、志げは明らかに迷惑そうに「もっといればよかったのに」と話す。志げの家にも幸一の家にも泊まりづらくなった周吉は、とみを紀子の家に泊まらせ、自分は旧友を訪ねることにする。とみはかいがいしく対応してくれる紀子に感謝し、まだ若いのだから昌二のことに気兼ねせず再婚してほしいと話し、涙ぐむ。一方の周吉は旧友の服部修(十朱久雄)の家を訪ね、沼田(東野英治郎)とも再会したものの、どちらの家にも泊めてはもらえそうになく、夜中まで飲み屋で飲んで泥酔したうえ、結局、沼田を連れて志げの家に戻ってくる。
周吉ととみは尾道に帰ることにするが、途中でとみの気分が悪くなり、大阪にいる三男の敬三(大坂志郎)の家で一泊した後、尾道に戻る。ところが京子から電報で、とみが危篤になったという知らせが来る。幸一、志げ、紀子は尾道に集まるが、とみはそのまま息を引き取る。敬三は仕事のため遅れ、死に目には会えなかった。葬式を済ませると、実(じつ)の子供たちは早々に自分の家に引き上げ、紀子だけがしばらく周吉のもとに残る。京子は早々と帰った三人を非難するが、紀子は年を取るにつれて自分の生活が中心になってしまうものだ、と京子を優しく諭す。周吉は紀子に感謝し、生前、とみが、紀子の家に泊まったときが一番楽しかったと言っていたと伝え、昌二のことは忘れていい人ができたら結婚してくれ、と話す。紀子は、実は昌二のことを思い出さない日の方が多くなっており、心の中で何かが起きるのを待っているのにそのことを義母に言えなかった自分はずるいのだと告白する。周吉は紀子の正直さを誉め、とみの懐中時計を形見として紀子に渡し、「自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方がよっぽどわしらにようしてくれた」とこぼす。紀子は嗚咽を漏らす。子供たちのいなくなった部屋の中で、周吉は寂しそうに虚空を見つめるのだった。

固定のローアングル映像を多用し、淡々とした会話を紡いで静かな感動を呼ぶ、小津安二郎監督らしい作品。本作をリメイクした「東京家族」を先に観ていたため、とみが亡くなる展開は予想できていたのだが、それでもとみが亡くなったシーンや、紀子が嗚咽するシーンには感動した。派手な音楽や映像に頼らず、上質な感動を生み出しており、白黒作品であることをデメリットに感じさせない名作だ。文学作品のようなセリフも心地よい。

【5段階評価】4

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