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2020年10月10日 (土)

(2201) ジョニーは戦場へ行った

【監督】ダルトン・トランボ
【出演】ティモシー・ボトムズ、キャシー・フィールズ、ドナルド・サザーランド、ジェイソン・ロバーズ、ダイアン・バーシ
【制作】1971年、アメリカ

戦争で瀕死の重傷を負った青年の意識を描いた作品。

軍隊入りした青年ジョー(ティモシー・ボトムズ)は、恋人のカリーン(キャシー・フィールズ)を置いて戦地に向かうが、瀕死の重傷を負い、両手両足を切断され、顔の大部分も失う。軍医のティラリー大佐(エドワード・フランツ)はジョーには意識がないと診断し、ジョーは意識のない肉塊として生かされる。しかし彼には意識があり、部屋の振動と頭や体の触覚だけで自分の周囲を感じ、首を動かして意志を伝えようとしていた。彼は、戦地で出会ったキリストのような男(ドナルド・サザーランド)や、自分が子どもの頃の父親、恋人のカリーンに思いをはせるうち、モールス信号でコミュニケーションを取る手段を思いつく。
やがて、ジョーに献身的に接していた一人の看護師(ダイアン・バーシ)が、ジョーの首の動きが、けいれんではなく意識的な動きだと気づく。ジョーは軍の司令官に望みは何かと聞かれ、殺してくれ、と答える。司令官は鎮静剤を打つよう看護師に伝えて立ち去るが、看護師はジョーの願いを聞き入れ、呼吸を止めようとする。しかし戻ってきた司令官は看護師を追い出し、鎮静剤を打つ。ジョーは自殺することもできず、ベッドの上で「SOS、助けてくれ」と念じ続けるのだった。

文学的で深淵な作品。ベッドに横たわり看護されるシーンはモノクロで、ジョーの意識下の情景はカラーで描かれている。カラーのシーンは、ジョーの過去の記憶の場合もあれば、すでに重傷を負った現在のジョーの想像の場合もあり、その境界はあいまいである。ジョーが自分には腕がないとキリスト風の男に訴えるシーンは現在の彼の意識だろうし、手紙をよこさなかったとカリーンや彼女の父親がジョーを責めるシーンもまた彼の想像だろう。出征前夜のカリーンとの一夜は過去の記憶と思われるが、もしかするとそれもジョーの妄想かもしれない。また、見ようによってはベッドの人物はジョーではない何者かで、その者がジョーという未来の人物を空想しているとも考えられる。終盤で彼の名前を聞けと司令官が部下に命じていることも、この人物が実はジョーではないのではないかと思わせる。そして実際にはベッドの上のモノクロの男もまた、作者による想像の人物である。こうなると、どこまでが空想でどこまでが現実なのか、どれが記憶でどれが想像なのか、見れば見るほど、考えれば考えるほど、いかようにでも解釈できることが分かってくる。
原作は反戦メッセージ性の強い作品であるが、映画は人の記憶と想像の世界を映像で表現することに挑んだ、「メメント」のような実験的、前衛的な作品で、この意欲作が1971年に作られたというのは意外だった。
まあ、ここまで解説しといて評価2かよ、という感じだが。だって退屈だったんだもん。

【5段階評価】2

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