(2097) かごの中の瞳
【監督】マーク・フォースター
【出演】ジェイソン・クラーク、ブレイク・ライブリー、アーナ・オライリー、ウエス・チャサム
【制作】2017年、アメリカ
盲目の妻が視力を取り戻したことによる夫婦関係の変化を描いた作品。サスペンス映画と呼ぶか、恋愛映画と呼ぶか、判断が分かれる作り方になっている。
ジェームズ(ジェイソン・クラーク)は盲目の妻ジーナ(ブレイク・ライブリー)と結婚しており、二人は愛し合っていた。移植手術によりジーナの視力は回復するが、ジーナは初めて見る夫の顔や家の様子が思っていたのと違う、と表現し、ジェームズは妻の回復を喜びながらも戸惑いを禁じ得ない。ジェームズは妻を喜ばせようと新婚旅行で行った南スペインに向かい、ジーナの姉カーラ(アーナ・オライリー)と夫のラモン(ミケル・フェルナンデス)と対面。陽気なカーラ夫婦に会い、ジーナは次第に開放的な性格になっていく。
帰宅したジーナは、医者に指定されたステロイド剤の点眼を続けていたが、視力の低下を感じ、使っている目薬を医者(ダニー・ヒューストン)に調べてもらう。医者は新たに渡したサンプルの目薬を使うよう指示。果たして目薬には異常が認められた。ジーナは、犬を連れて公演に散歩に出かけ、知り合いのダニエル(ウェス・チャサム)に声をかけられ、肉体関係を持ってしまう。ジェームズは無精子症を患っていたにもかかわらず、ジーナは妊娠する。ジェームズはジーナがダニエルと関係を持っていたことを見抜く。
ジーナは再びジェームズの介添えなしには歩けなくなってしまうが、ジェームズはそれが本当なのか確信できない。二人はジーナが気に入った家に引っ越すが、ジェームズはジーナが医者からもらったサンプルの目薬を使っていることを発見。また、元の家に手紙が落ちていた。はっきりとは描かれていないが、おそらくジェームズは、ジーナが手紙を読んでいる、すなわち実は視力があり、見えない振りをしてジェームズの行動を見極めようとしていたことに気づいたのだろう。
ジェームズは、ジーナがオリジナル曲を歌う演奏会を鑑賞。ジーナは歌を歌いながらジェームズを見つめる。ジェームズは歌を最後まで聞くことができず、会場を飛び出して車を走らせる。泣きながら運転するジェームズは対向車線に飛び出し、トラックと衝突する。
一人、帰宅したジーナはジェームズが手紙を見たことを悟り、静かに結婚指輪を抜き取る。やがて、ジーナは子どもを産むのだった。
序盤から、何かが起こりそうな予感があり、ジェームズとジーナの関係に微妙なずれを描き続ける。おそらくジェームズは、目が見えず彼に依存していたジーナを愛していて、自立し、時に反発するジーナの目薬に細工をしたのだろう。しかし、そのシーンは描かれていない。そしてジーンは目が見えない振りをして夫の行動を伺っていたのだと思われるが、それも確証があるわけではない。相当部分を観客の判断に委ねる作り方になっている。最後にジーナが歌う歌も、ジェームズがジーナの愛情を信じなかったことを言い当て責めているのか、どうか自分を信じて欲しいと愛を伝えているのか、よく分からない。サスペンス映画として観ていた自分からすると、謎の予感をさんざん前振りしておきながら、結局決定的な事件は描かれずに終わってしまったのでフラストレーションが残った。一方で、二人の愛のすれ違いによる悲劇を描いたドラマだと観れば、また違った満足感があるのかもしれない。個人的には何度も書いてきたように、判断を観客に委ねる難解な作り方は好きではないので、序盤はとても映画らしい作り方だっただけに、「うーん、これで終わりかぁ」とちょっとがっかりした作品だった。一点、目の見えないジーナがぼんやりとした視界の中にきらめく光だけが見えているという映像は、眼の病気をしたことのある自分にとって、「そうそう、確かにこんなふうに見えるよな」というリアリティがあった。
本作はスターチャンネルの無料放送で視聴。画面の上下が黒いシネスコサイズの放送だったので、大画面で観ることで映画のように楽しめた。
【5段階評価】3
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