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2019年10月 3日 (木)

(1946) 祈りの幕が下りる時

【監督】福澤克雄
【出演】阿部寛、松嶋菜々子、小日向文世、溝端淳平、桜田ひより
【制作】2018年、日本

東野圭吾の推理小説の映画化作品。「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」の続編。

東京の日本橋の刑事、加賀恭一郎(阿部寛)は、精神を病んで家を出て仙台で亡くなった母親の田島百合子(伊藤蘭)が、かつて交際していた綿部俊一という男を16年間、捜し続けていた。加賀の従弟の松宮脩平(溝端淳平)は、滋賀県に住む女性、押谷道子(中島ひろ子)が腐乱死体となって発見された事件と、河川敷で焼死体が発見された事件との関連を見抜く。焼死体のDNAが、道子の死体が発見された部屋の住人、越川睦夫のものと一致したのだ。道子がなぜ東京に来たのかを捜査した脩平は、彼女が中学時代の同級生、浅居博美(松嶋菜々子)の母親(キムラ緑子)を勤め先で偶然見かけ、博美に会いに行ったことを知る。博美は道子の死を知っていた。博美は道子から、母親を見つけたから引き取ってほしいと問われるが、母親を激しく恨んでいた博美は、それを断っていた。彼女の部屋には、剣道着姿の加賀と一緒に写った写真があった。脩平は加賀に話を聞く。博美は芝居の演出家で、中学生の剣技指導を加賀に依頼しに来たことがあった。彼女は、自分は子供を堕ろしたことがある、自分は人殺しなんだ、という話を加賀にしていた。越川の部屋にあったカレンダーには、月ごとに日本橋周辺の橋の名前が書き込まれており、その橋の名と筆跡は、田島百合子の部屋にあったものと一致していた。加賀は、探し続けていた綿部俊一と越川睦夫が同一人物ではないか、と考える。彼女は中学生の頃に父親が自殺し、施設で育っており、中学卒業後、苗村(及川光博)という教師と交際していた。綿部俊一の正体は苗村かと思われたが、綿部を知る女性、宮本康代(烏丸せつ子)はそれを否定する。
捜査に加わった加賀は、父親が滋賀のビルで飛び降り自殺をしたという博美の話が嘘であると見抜き、博美に問いただす。博美はそれは罪に問われるのか、と開き直る。事件の関係者が自分の周辺にいることに気づいた加賀は、博美が自分に会ったのは偶然ではないのではないか、と考え始める。もし自分の亡くした肉親に恋人がいたら、その子供に会いたくなるのではないか。そう考えたのだ。加賀は、改めて博美に会いに行き、真相を博美から聞く。
中学生の博美(桜田ひより)の母親は、浮気をした挙げ句、夫名義で多額の借金をして家族を捨てていた。借金取りに追われ、夜逃げをした博美と父親の忠夫(小日向文世)が、とある食堂で食事をしていると、原発作業員の横山一俊(音尾琢磨)という男に話しかけられる。横山は二人が夜逃げをした親子だと見抜き、博美にこっそり、お小遣いを上げるから食堂裏のバンに来い、とささやく。博美は、父親が吹っ切れたように豪華な旅館に泊まったにもかかわらず、持ち金が全くないことに気づき、父親が自殺しようとしていると直感。意を決した博美は、横山の車に近寄る。横山は舌なめずりをするような顔つきで博美を車の中に引き入れる。博美がいないことに気づいて外を探し回っていた忠夫は、乱れた服装で駆け寄ってくる博美を発見。その手は血まみれだった。博美は横山を受け入れることができず、車の中にあった箸で横山の首を突き殺していたのだ。それを見て全てを悟った忠夫は、博美にある提案をする。それは、自分が自殺したことにして横山に成り代わり、原発作業員として働くというものだった。博美は号泣しながらも、その提案を受け入れざるを得なかった。二人はその後も、人目を忍んで会っていた。カレンダーの橋の名前は、密会をする場所を意味していたのだった。二人は不幸な境遇の中でもかすかな幸せを感じていたが、博美との密会が苗村にバレてしまう。忠夫は、苗村が博美の交際相手だと知りつつも、苗村を絞殺する。そして博美の演出した舞台の初日。博美は忠夫を舞台に招待していた。そこに居合わせたのが、博美の同級生の押谷道子だった。彼女は死んだはずの博美の父親に気づき、彼に声をかける。忠夫は道子も殺さざるを得なかった。自分を偽って逃げ続ける暮らしに疲れた忠夫は、博美に舞台の賛辞を伝えた後、自害を決意する。父親の自殺の気配を察知した博美は、河川敷で忠夫がテントにガソリンを撒いているのを見る。博美は必死で止めるが、忠夫のもう疲れた、という告白に同情。焼け死ぬのはごめんだ、とかつて忠夫が言っていたことを覚えていた博美は、父親が須子でも苦しまずに逝けるよう、自らの手で父親の首を絞めたのだった。
加賀は博美から、父親の書いた加賀宛ての手紙を手渡す。そこには、加賀の母親がなぜ、家族を捨てて失踪したのかが記されていた。水商売上がりの彼女は、夫の家族からさげすまれていた。精神的に不安定になった彼女は、ある日、いつの間にか息子の前で包丁を手にしている自分に気づき、このままでは息子にとんでもないことをしてしまうのではないか、と考え、家を去ったのだった。なぜ母親が自分を捨てたのかが分からなかった加賀は、それをやっと知ることになった。加賀の父親(山崎努)が、息子の活躍を空から見守ることができるなら、命が尽きるのが待ち遠しいぐらいだと言っていた、という話を、父親の看護をしていた金森登紀子(田中麗奈)から聞かされていた加賀は、博美の父親も同じように考えて死を選んだのだろうと考えるのだった。

真相を再現するクライマックスが圧巻。中学生の博美と父親が泣きながら抱き合って別れを惜しむシーンは感動的だった。東野圭吾原作の映画の中では、かなり当たりの部類だった。同じ加賀恭一郎シリーズでも「さまよう刃」はひどかったからな。

【5段階評価】5

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