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2019年3月28日 (木)

(1855) シャイニング

【監督】スタンリー・キューブリック
【出演】ジャック・ニコルソン、シェリー・デュバル、ダニー・ロイド、スキャットマン・クローザース
【制作】1980年、イギリス、アメリカ

ホテルの管理を任された男と家族が巻き込まれる恐怖を描いた作品。

作家志望のジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)は、冬季に閉鎖されるホテルの管理を引き受け、家族とホテルにやってくる。そのホテルは、かつてグレイディという男が娘二人と妻とともに管理をしていたが、男は孤独に耐えられず、娘と妻を斧で切り刻み、猟銃を口にくわえて自殺したという事件があった。ジャックはそれを気にせず、妻のウェンディ(シェリー・デュバル)も豪華なホテルでの暮らしを喜んでいた。一方、息子のダニーは、「シャイニング」という特殊な能力を持っており、同じ能力を持っているホテルのコック、ハロラン(スキャットマン・クローザース)はそれを見抜き、237号室には近寄るな、とダニーに念を押す。
ジャックはタイプライターで小説を執筆していたが、次第にウェンディの行動にかんしゃくを起こすようになる。ダニーがホテルの廊下で遊んでいると、なぜか施錠されていた237号室のドアが開けられており、中に入ったダニーは、首に絞められたようなあざができていた。ウェンディはジャックがダニーの首を絞めたと思い込むが、ダニーの話を聞くと、部屋の中に女がいたということだった。ジャックが部屋の中に入ると、バスタブに美しい全裸の女性がいた。ジャックはその女性と抱き合い、キスをする。しかし、鏡越しに見た女性は、腐乱した太った老女だった。ジャックは部屋から逃げ去る。ジャックは無人のバーに向かうが、彼の中では、そこには大勢の客とバーテンダー(ジョー・ターケル)がいた。ウェイター(フィリップ・ストーン)にぶつかられて服を汚されたジャックは、ウェイターに促されて真っ赤な壁のトイレに入る。ウェイターの名がグレイディだと知り、ジャックはウェイターに、このホテルの管理人だっただろう、と尋ねるが、グレイディは、管理人はずっとあなただ、と答える。グレイディは、言うことを聞かない妻や娘をこらしめた、という話をジャックにする。そして、ダニーが外部者をここに連れてこようとしているとジャックに伝える。
ウェンディはジャックの打っていた原稿を目にする。そこにはただ、「All work and no play makes Jack a dull boy.」(勉強ばかりで遊ばないとジャックはバカになる)と大量に書かれているだけだった。そこにジャックが現れる。ジャックの狂気に気づいたウェンディは、持っていたバットを振り回し、ウェンディに近づいてくるジャックを殴って昏倒させると、食料庫に閉じ込めて鍵をかける。しかたなく寝ていたジャックに、外からグレイディが話しかけ、鍵を外す。ウェンディは、ダニーと自室の中にいたが、ダニーは何かに取り憑かれたように「REDRUM]とつぶやきながら、口紅で壁に鏡文字になった「REDRUM」を書く。それに気づいたウェンディは鏡越しにそれを見る。そこには「MURDER」の文字が写っていた。いつの間にかジャックは部屋を出ており、ウェンディは何とか洗面所の窓からダニーを逃がす。ジャックは斧で扉を破り、その隙間からものすごい形相で顔を覗かせる(この顔はシャイニングの中で最も有名なカットだろう)。ドアを開けようと差し入れられたジャックの手をウェンディは切りつける。そこに、虫の知らせで家族の危険を察知したハロランが雪上車でやってくる。ハロランは人気のないホテルで「誰かいるか」と声をあげながらジャック一家を探すが、彼の腹をめがけてジャックが斧を振り、ハロランは絶命する。ジャックは外に逃げたダニーを追いかけ、生け垣でできた巨大迷路に入り込む。ダニーはうまくジャックをまき、ウェンディと再会。ウェンディは雪上車でホテルから去る。ジャックはそのまま凍死する。
静寂が戻ったホテル。そこに飾られた一枚の写真。それはバーの客の集合写真だった。中央の正面には、ジャックが写っているのだった。

ジャックの形相が有名な作品。ホラーは今までけっこう観てきたが、本作は初めて観た。それなりの期待をしたものの、悪い意味で裏切られた感があった。一人で自分の指と会話するダニーが不気味。目が異様に大きくやせたウェンディも不気味。そして当然、ジャックも不気味。この辺のどこに恐怖が潜んでいるのかよく分からない出だしはよかった(結局、まともなのはウェンディだったのだが)。しかし、シャイニングという能力の全貌がよく分からず、しかも後半はその能力がほとんど物語にかかわってこないので、タイトルを含めてシャイニングってなんだったんだ、というモヤモヤ感が残った。ジャックの精神がむしばまれていった理由もよく分からないし、どうやらジャック自身がかつての惨劇を起こしたグレイディだった、ということは分かるものの、それってどういうことなの、という全体像が分かるような描写がなかった。そして最後の集合写真の意味も分からない。意味が分かりづらい作品はあまり好きではないので、残念ながら、ホラー映画の有名作品であるはずの本作は、自分にとっては不発だった。

【5段階評価】3

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