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2019年1月 1日 (火)

(1799) 三度目の殺人

【監督】是枝裕和
【出演】福山雅治、役所広司、広瀬すず、吉田鋼太郎、満島真之介、斉藤由貴
【制作】2017年、日本

殺人容疑で逮捕された男の弁護士となった男が真実を追う様子を描いたサスペンス。

多摩川の河川敷で会社社長を殴り殺した上にガソリンで焼いた罪で、会社の元従業員の三隅高司(役所広司)が裁判にかけられることになり、重盛朋章(福山雅治)が弁護人となる。三隅は30年前にも殺人の罪で裁かれており、このままでは死刑は免れないと考えた重盛は、同僚の摂津(吉田鋼太郎)と相談しながら、強盗殺人ではなく、怨恨による殺人の後、財布を盗んだという死刑逃れの作戦を立てる。真実が何かを気にする若手弁護士の川島に、三隅はどうせ真実など分からないのだから裁判に有利な筋道を採用するのが当然だ、と考えを述べる。しかし週刊誌が、三隅の告白記事を掲載。それによると、三隅は、被害者の妻の美津江(斉藤由貴)から、保険金目的で夫殺しを依頼されたというのだ。三隅は美津江から、例の件をよろしくというメールをもらっており、50万円のお金を給料とは別に受け取っていた。重盛らは裁判官、検事との打ち合わせで、犯人性は争わず、その線で弁護を進めることを説明する。
重盛は、被害者の娘の山中咲江(広瀬すず)がたびたび三隅の家を訪ねていたという証言を得る。同じ年頃の娘(蒔田彩珠)を持つ重盛は、次第に事件の真実を知りたいと思うようになる。
美津江と咲江の家での会話からは、美津江は三隅に殺人を依頼したり不倫関係にあったわけではなく、会社の食品偽装の口止め料として50万円が支払われているようだった。美津江は週刊誌記者に追われて困りながらも、会社の不祥事が明るみに出るのを恐れており、そのことも父親のことも言うなと咲江に告げる。咲江が父親のことって何、と聞き返すが、美津江は答えない。
重盛は法廷で、美津江が主犯格の共謀殺人という見立てで弁護をはじめる。しかしその日、咲江から、実は自分は父親からレイプをされており、河川敷でたき火をしているのを見かけたことがきっかけで親しくなった三隅が、そのことを知って殺害に及んだのだ、という証言をするつもりであると伝えられる。重盛は三隅に面会する。すると三隅は、そんなことは覚えていない、とうそぶき、実は自分は河川敷には行っていない、と証言を飜す。重盛は今さらそれを信じろと言うのか、と驚くが、三隅は犯行を認めれば死刑にはしないと検事にも弁護士にも言われたからだ、と必死の形相で重盛に訴えかける。それを目の当たりにした重盛は、裁判に不利になるとは承知しながらも、犯行を否認する方向に弁護を切り替えることにする。しかし、裁判官も検事側も、急な変更に戸惑いを隠せない。女性検事の篠原(市川実日子)は、一から裁判をやりなおすべきでは、と言いかけるが、先輩に耳打ちされ、あっさりとそれを撤回する。結局、裁判は続行され、三隅には死刑判決が言い渡される。三隅は、重盛の手をとって「ありがとうございました。」と穏やかな声で感謝の言葉を伝えると、傍聴席に一人残っている咲江には目を向けず、静かに法廷を後にする。
重盛は三隅と接見する。重盛は、咲江につらい証言をさせないよう、三隅が、自分が死刑になることを受け入れたのだろう、という自分の考えを告げる。三隅ははっきりとそれには答えない。重盛は三隅は空の器のような存在だったのだろうと考えるのだった。

映画賞を多く受賞している作品だったので、期待して観たのだが、肩すかしだった。サスペンス作品なのに、真実が語られない。これははっきり言ってルール違反だ。
なぜ三隅は重盛に娘がいることを知っていたのか。なぜ咲江は屋根から飛び降りたと嘘をついてきたのか。こうした伏線が後半で説明されない。そして、本当に殺したのは誰なのか。なぜ死体は焼かれなければならなかったのか。これも分からないまま。「三度目の殺人」というのも、どうやら、裁判制度が三隅を殺した、ということのようではあるが、それもわかりにくい。ほかにも、三隅、咲江、重盛の三人が雪遊びをしているのは何を暗示しているのかもよく分からない。もしかして重盛にも、人には言えない秘めた暗い過去があるのか、といらない予想をしてしまっていた。そんなこんなで「え。これで終わり? 」というのが第一声だった。
ほかにも、なぜ咲江の靴は焦げていたり、三隅が手をやけどしていたりしていたのか。河川敷で死体を焼いた現場にいたとして、手をやけどしたり靴が焦げたりするだろうか。頬についた血を、布などで拭き取るでもなくただ手の甲で頬にこすりつけるように拭くというのも、シーンとしての象徴性を優先しすぎで真実味がなく、サスペンスファンとしては「なんだかなあ」なのだ。しかも頬だけに血がついていて、服にも付いていれば証拠になるだろうし。とにかく法廷もの、推理ものとしては破綻していた。焦げた靴を置きっぱなしにするなよ、とか。
どうやら監督は、本作で、裁判制度の理不尽さを訴えたかったようなのだが、じゃあなんでこんな、東野圭吾原作作品みたいな本格サスペンス風にしたのか。「それでもボクはやってない」の方がよっぽどマシであった。
また、役所広司演じる三隅自体は役者ではないはずなのに、重盛相手に真実を告げているとしか思えない表情で嘘をついていた、なんていうのも興ざめである。それは人物を見せたいのではなく、俳優を見せたいということである。監督が脚本を書いてしまったことが原因かもしれない。かといって、もともと真実より裁判技術を優先するという役どころの重盛の描き方も浅くて、序盤に本人が口で言っているだけで、後半は普通に真実を知りたがっているし、経済優先で裁判を早く終わらせようとする実態への理不尽さもあっさりと受け入れてしまい、ぱっとしない。
是枝裕和監督作品としては、「誰も知らない」は数少ない5点評価作品で感動しており、決して嫌いな監督ではないのだが、本作は3点評価にしてしまった。飜ってみると、「海街diary」や「そして父になる」も3点評価なのだった。じゃあ妥当な結果なのか。

【5段階評価】3

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