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2012年8月10日 (金)

(823) ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ

【監督】ジョン・ボルソン
【出演】ロバート・デ・ニーロ、ダコタ・ファニング、ファムケ・ヤンセン
【制作】2004年、アメリカ

母親を亡くした父娘に降りかかる恐怖を描いた、ロバート・デ・ニーロ主演のサイコ・サスペンス。

幼い娘、エミリー(ダコタ・ファニング)は、ある日、母親のアリソン(エイミー・アービング)が風呂場で自殺し、それを父親のデビッド(ロバート・デ・ニーロ)が助け上げているシーンを目撃。それ以来、彼女は心を閉ざしてしまう。
心理学者のデビッドは、郊外の一軒家に娘と移り住むことにするが、娘はチャーリーという友達ができたと言い始める。デビッドがチャーリーに会いたいと言ってもエミリーは拒絶。デビッドは、チャーリーとは娘が作り出した幻影だと思い込む。
ある日、デビッドは、家の風呂場に赤いクレヨンで「お前が彼女を殺した」と書かれているのを発見。彼は娘を問いただすが、エミリーは「チャーリーがやった」と言うのみ。エミリーの心の声が、チャーリーという幻影を通じて発せられていると考えるデビッドだったが、デビッドが渾身の力を込めても開かない窓が開いていたり、家を訪ねたデビッドの知人、エリザベス(エリザベス・シュー)が2階から突き飛ばされて殺されたりし、デビッドはチャーリーという人物が実在するのではないかと疑うようになる。デビッドは、娘を亡くした隣家の父親が犯人だと考えるが、真相は違った。
チャーリーとは、デビッドの別人格だったのだ。亡くなったアリソンは、生前、浮気をしていた。それを知ったデビッドを、内なる別の人格が支配し、アリソンを殺害。もとの人格に戻ったデビッドがアリソンの死体を発見したのだった。エミリーがチャーリーと呼んでいたのは、別の人格となった父親だったのだ。
狂気にゆがんだデビッドは、チャーリーとなって周囲の人間に襲いかかるが、エミリーの療法士、キャサリン(ファムケ・ヤンセン)が、エミリーに襲いかかろうとするデビッドを銃で倒す。エミリーはキャサリンとともに新たな暮らしを始めるが、彼女の書いた絵には、楽しそうにキャサリンと遊ぶエミリーの顔の横に、もう一つ、別の顔が描かれているのだった。

序盤のエミリーの生気のない表情からは、「エクソシスト」の少女、リーガンような恐怖感が漂う。真相もしっかりとしていて、上質なサスペンスだった。
そのせっかくの作品を台無しにしているのが、「暗闇のかくれんぼ」というサブタイトルのセンスのなさ。ハイド・アンド・シークだと、意味を知らない人にはわかりづらいし、知っている人にはそれこそただの「かくれんぼ」だし、ということで「暗闇の」とつけたんだろうけれども、「かくれんぼ」という語感と、例えば横溝正史の名作「悪魔の手鞠唄」の「手鞠歌」という語感とでは、子どもの遊びの中に秘められたおどろおどろした雰囲気がまるで違う。なかなか難しいところではあるが、どうせ邦題をつけるのであれば、かくれんぼにこだわらず、もう少しセンスのいいタイトルにするべきだったろう。ロバート・デ・ニーロという名優が主演の割に評判がぱっとしないのは、サブタイトルのセンスが相当影響していると思う。「ミニミニ大作戦」に次ぐぐらいの残念賞。

【5段階評価】3

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